
酒井 玉蘭 百人一首(八首)
曾祖父 夏の夜は まだ宵ながら明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ(清原深養父) 父 契りきな かたみに袖をしぼりつゝ 末の松山 波越さじとは(清原元輔) 娘 夜をこめて 鳥のそら音ははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ(清少納言) 父 秋の田の かりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつゝ(天智天皇) 娘 春過ぎて 夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山(持統天皇) 父 天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ(僧正遍昭) 子 今来むと いひしばかりに長月の ありあけの月を待ち出でつるかな(素性法師)

杉本 祥泉 来日大いに難しに当つ
日の短きを苦しむ 楽しみ余り有り 及ち玉樽を置きて 東厨を辧ぜしめ 情故を広くし 心相於しむ 門を闔ざして酒を置き 和楽して欣欣たり 馬を遊ばして後れ来たらしめ 轅車は輪を解かしむ 今日堂を同じくするも 門を出ずれば郷を異にす 別るるは易く会うは難し 各おの杯觴を尽くせ(曺植)

杉本 祥泉 河傳
春暮 微雨 君を南浦に送れば 双蛾を愁斂せしむ 落花の深き処 啼鳥は離歌を逐うに似 粉檀と珠淚と和す 流れに臨んで同心を把りて結べば 情は哽咽す 後会は何の時節ぞ 回首するに堪えず 相望めば已に汀洲を隔つ 櫓声は幽かなり(李珣)

杉本 祥泉 述懷(魏徵)
中原還逐鹿 投筆事戎軒 縱橫計不就 慷慨志猶存
杖策謁天子 驅馬出關門 請纓繋南粤 憑軾下東藩
鬱紆陟高岫 出没望平原 古木鳴寒鳥 空山啼夜猿
既傷千里目 還驚九逝魂 豈不憚艱險 深懷國士恩
季布無ニ諾 候嬴重一言 人生感意氣 功名誰復論

野田 香彩 楽遊原(李商隠)
夕暮れのせまる頃、何がなし心は満たされない。車を走らせ、町を出てすっと古い原に登る。原から見る夕日は、この上もなく見事だ。だがしかし、もはや黄昏は近く、この夕日も消えてしまうのだ。

横田 恵豊 日々是好日
日々是好日 雨の日は雨を愛し 風の日は風を好み 晴れた日は散歩しよう 貧しくば心に富を
中国唐末の禅僧の雲門文偃(864~949)の語です。「毎日が好日である」であると言っているのではなく「毎日を好日にせよ」と呼びかけている、命令形なんです。しかるにいかにして「日々是好日」にするかです。宮沢賢治の「雨ニモマケズ、風ニモマケズ…」毎日をしっかり生きていこうとしています。生活信条をもっていたようです。これに対してフランスの詩を日本に紹介した堀口大学の詩「雨の日は雨を愛し、風の日は風を好み…」と対比すると面白いと思います。